こんにちは。藤田 裕貴(ふじた ゆうき)と申します。
地方出身で引きこもり、5年半前(2026年1月時点)まで借金でクビが回らないNoスキル会社員だった私は、今は大阪で零細企業の社長をやっています。
私は5年半前、正真正銘の「底辺」にいました。(いまも大成はしていませんが、毎日楽しく暮らしています)
- リボ借金200万円
- 月500時間労働(サービス残業)
- 営業成績1位でも手取り19万円
- ストレスで身体がボロボロ(お尻の半分がケロイド化…)
ITスキルはゼロ。PCは人差し指でタイピング。 そんな「低スペック・低収入・低学歴」の3拍子揃った私が、なぜ韓国ビジネスに出会い、起業し、好きなことに没頭するようになったのか。
そしてなぜ今、「日本の心を紡ぎ、アジアの暮らしに華を 」というミッションを掲げて、日本企業のアジア進出を支援しているのか。
たくさんの方のお力添えのおかげで今に至るわけですが、崇高な目標や秀でた頭脳・特技・実績が何もない、”持たざる者”ならではの感覚があると思います。
私のような失敗だらけのポンコツ人間でも、泥臭くやることで道が開かれ、それなりに幸せになれました。だから、世の中の多くの方はもっと沢山の可能性があるんじゃないかと思って、筆を執りました。
当時の生々しい感情・恥ずかしい過去・葛藤も含めて、すべて正直に書いてみたいと思います。
私の経験をお話することで、少しでも重なる部分がある方へ勇気や反面教師をお届けできたら嬉しいです。
(サムネ写真は大学生のとき、祖母と。裏千家の茶会に行ったときの様子)
目次
暗黒の学生時代。唯一の光は、1本のベースだった。
私は1983年にアメリカのカリフォルニア州で生まれましたが、生後3ヶ月で日本へ。育ったのは山梨県の甲府市です。
父は大手電機メーカー(上場企業)の役員で、とても厳格な人でした。幼い頃から「お前はダメな奴だ」と言われ続け、私はすっかり内気で、自己肯定感の低い子供に育ちました。

勉強だけは多少できましたが、友達は一人もいません。
学校ではいじめられ、完璧主義で恥ずかしがり屋のわたしは、いつも人の顔色ばかり窺っていました。
偏差値70~85くらいを推移し得意になっていましたが、実際には公立でまわりが勉強していない中父親にやらされていたからというだけで、中学にはいったらメッキがはがれて、中の上くらいです。
中学では、徐々に友達が増えました。一人の友達が孤独なわたしを気遣って仲間にサポート依頼してくれていたからです。スクールカースト上位グループにはいましたが、自分の努力の成果ではなく、ただ彼や仲間のおかげで生かされていたという感じです。運動神経は最悪で、特に球技は何もやってもチームのお荷物です。唯一ただ走るだけが中の上くらい。
優しい担任の先生の推薦で、偏差値63高校に入れて友達は増えたものの、たった1年で中退。無気力になり、昼夜逆転の引きこもり生活。人生のレールから、早々に脱落しました。
そんな私に唯一光をくれたのが、15歳で出会ったエレキベースでした。中学1年生のときから音楽教室に通っており、先生がベーシストということもあって、世界の機材メーカー・プロの現場・改造技術など様々なことをお教えていただけました。
ベースの先生は「ロックはみんな勝手にやるだろうから、老若男女・海外の人とセッション(一緒に演奏すること)になった時、すぐに使える曲を」という方針で、スタンダード(ポップス・ジャズ・ボサノバ・R&B・ブルースなど)を教えていただきました。
この先生の判断や教えは、その後の音楽(交流)人生について大変大きな意味を持つことになります。(多大なる感謝)

音楽仲間の同級生や先輩の絶え間ないサポートもあり、アルバイトをしながら大検を取得し、大学に進学。現実社会に復帰できました。(ホント感謝)
入学後は内気で小心者・受動的な自分を変えようと、毎日の路上ナンパで克服。胆力が身に付きました。
学費はすべて自分で払うため、週5日、1日12時間、派遣の配膳バイトに明け暮れました。
残りの時間はすべて音楽に捧げ、セミプロとして活動するようになりました。
結局、大学は留年。本末転倒な学生生活でしたが、音楽だけが、私の唯一のアイデンティティでした。

ちなみに今でもたまに弾いてます。
ブラジル人とバンド(パゴージ、サンバ、ボサノバ等)を組んだり、ウッドベースとジャズを始め、バーで毎週レギュラー出演するように。
ブラジル人は演奏が良くないと、あからさまに誰も聴いてません 笑
逆にワンダフルだと会場全員で踊りだし、大合唱です。大小差はあれど海外はそっちの反応がスタンダードなので、反省しやすかったです。
最初はうまくグルーヴ(ノリ)の流れを作れずに、ジャズBarのマスターボロカスのご指導をいただいたりしました 笑(大感謝)

ブルースBarにも毎週通い、ベテランプレイヤーのマスターにソウルを叩き込まれたり、バンカラ(お客さん向け生演奏でカラオケ)伴奏をやらせていただいたり。
マスターはいままで会った人の中で、もっともNoといえる日本人でした。

昼は大学で同世代の仲間と流行りのロックを演奏し、夜は大人の音楽をやりました。
毎日現場が変わる配膳バイトは1年やって転職。家から近いお好み焼き屋さんで4年働かせてもらいました。
お遣いで預かった1万円は無くすし、掛け声は緊張して上ずるしで、無能すぎてよくクビにならずに面倒みていただけたなと、マスターとママさんには頭が上がりません。(就職が決まった時は、誰よりも喜んでくださいました)
余暇は、ホストクラブ経営や夜職の女性経営者の先輩方に可愛がっていただき、週5でキャバクラ・スナックにお供。体を張った宴会芸で、今の営業力(?)・死ぬ気でバリュー発揮しようという基礎となる精神を身につけました。
わたしが全裸踊りしながら、女性経営者さん達に割り箸で”ナニ”を掴まれるというゲームは、大好評だったためシリーズ化しました…w
持たざる者が、飲み会でバリューを出す方法の一例です。
(可愛い大学生だから喜ばれた点に要留意) https://t.co/V10g6BpGkI— 藤田 裕貴|《🇰🇷韓国のEC/流通/マーケ最新情報》を毎日発信 (@fujit_ECbassman) October 7, 2022
「興味があることには狂気じみた集中力を発揮するが、興味がないことは一切できない」 そんな社会不適合な性質を持ったまま、私はアパレル業界へ就職しました。
仕事漬けだったけど成長させてもらえた会社員時代。心と身体の限界まで走った12年間。
■必死だった会社員時代:月500時間労働の果てに
大学卒業後、私は新卒で年商400億円規模の中堅アパレルチェーン企業に勤めることになりました。
ファッションが好きだったこと、そして「1番好きなもの(音楽)を仕事にしちゃうと嫌いになっちゃうかな」と考え、2番目に好きなファッションを仕事に選びました。
オシャレだった祖父の影響で中学生の頃から、洋服が好きでした。(仕事にしてしまったら、のちに逆に服に興味が無くなった)

江戸川区新小岩に引っ越し、社会人生活がスタート。大学は実家から通っていたので、初の一人暮らし。3階建てのアパートで大家さんがベーシストだった関係で、演奏を応援し、許してくれていました。(ツイてました)
何ひとつ頑張ったり継続したりしてこられなかった自分を俯瞰し、「仕事では成果を残したい」と思いました。
他人より能力が低い自分は、人の3倍努力してやっと標準点だな——そう考え、月500時間働きました。
ワークライフバランスが守られる現代では、まったく挽回するすべがなかったと思います…。
この月500時間労働は、10年以上続くことになります。
朝が弱いことを認識していたので、大学時代毎日飲んでいたお酒は10年以上一切やめて、禁欲もして、ひたすら仕事に熱中しました。
ゆったり接客した販売するタイプのお店ではなく、低単価・セルフ販売・大量品目のため、薄利超多売。とにかく汗だくで一日中走り回ってるような仕事です。(し〇むらみたいな総合量販店※別の会社です)

サラリーマン生活12年では、5回の引っ越し14箇所・16回の転勤。会社のアセットを使って色んな経験をさせてもらいました。(貴重な財産)
錦糸町(東京)→千葉→錦糸町(東京)→川崎(神奈川/本部)→港北(神奈川)→富士宮(静岡)→相模野(神奈川)→港北(神奈川)→戸田(埼玉)→河口湖(山梨/新店:史上最年少)→川崎(神奈川/本部)→蕨(埼玉)→伏見(京都)→瀬田(滋賀)→坂本(滋賀)→宝塚(兵庫)……
お陰で場所にこだわりはなく、様々な地域を楽しめるようになりました。
完全な休日は年に1〜3日しかなく、心身ともに限界を尽くしました。
必死にやり遂げていたので、上司だったベテラン店長たちからは、本当に可愛がっていただきました。励ましていただいあり、飲みに連れて行っていただいたり、異動先にも宜しく伝えて下さったりと、感謝が尽きません。
【そろそろ当時の写真挿入したいけど、仕事中なのと必死だったため撮影しておらず】※店内写真もコンプラ的に載せられないので、イメージ素材でご勘弁を

12年間、ほぼ休みなく働き続けた会社員時代。この経験が今の根性を作りました。
- 12年間で16回の転勤、5回の引越し。
- 朝7時に家を出て、帰宅は深夜2時。休日は月に1〜2日。
- 通勤往復4時間(場所によっては)、月500時間労働。
書き出すととても辛そうな感じですが、無能な自分を鍛えてくれ根性を授けてくれた会社には、心から感謝しており、負の感情は一切ありません。
むしろ無能さを労働時間でカバーできる時代でなかったら、何のバリューを発揮できずに、終わっていたと思います。
■ 本部勤務と「人間やめろ」の日々
入社2年目、本部の販売促進部に異動になりました。
同期の中で一番遅い本部配属。嬉しかった。
販売促進部は部長と4期上の先輩と3人だけ。 部長は情に厚い、てやんでぇ口調の江戸っ子気質で、要領の悪かった私は守ってもらいながら、たくさん叱っていただきました。(感謝)
私が赴任して4ヶ月ほどで部長は定年となり、役員が部長兼任に。 3分割していた仕事が2分割になりました。
先輩は、年に1日元旦しか休まない人で、朝から晩まで仕事をしていました。 アンダー40の中では一番能力が高く、最も評価されている人でした。
彼は自分でビジネスを着想する起業家タイプではなく、与えられたことを死ぬ気でこなすことに喜びを感じるサラリーマンとして優秀なタイプでしたが、何としてでも成し遂げて約束を守る姿勢は尊敬し、その後の自分にも影響を与えました。
今思ってもこれまで出会った人間の中で、もっとも責任感のある人物で、彼からは与えられた責務を全うするため、まったく未知の領域を粘り強く切り開く力・胆力・責任感を学びました。(彼は役員候補だったが、鬱になってしまった)
私は本部で全く通用しませんでした。
空気で察したり、相手の考えを先読みして提案したり、相手の趣味嗜好を予測してそれに即した行動を取ったり——そういうことができない。
周囲の人にストレスや無駄な工数を与え、ボトルネックになってしまう。
「役立たず」「無能」——そんな言葉を役員から浴びせられる日々。
客観的にその通りで、求められていることの見極めや、力の配分・仕事に割り振りがまったく出来ていなかった。
今思えば、よく見放さずに注意し続けてくださったな、と感謝の念が絶えません。(沢山のエネルギーを使っていただいた)
しかしながら激務とストレスで、ある時、お尻の半分がただれてケロイド化し、重度の痔(人生初)を併発。座ることも寝ることもできず。 起床後に即嘔吐するようになりました。(汚い話で申し訳ございません)
当時は本当に苦しかったですが、辞めようとは思いませんでした。 シンプルに、理想の結果を出せていないのは「自分の努力不足」と信じて疑わなかったからです。(実際もそうだった)
本部にきて11ヶ月後、私は無能すぎて店舗に左遷。 同期が店長になる中、私は平として再び店舗修行。
新小岩から横浜に通っていた時は、朝5〜6時頃に起床し、通勤に片道2時間。 朝6時台には自宅を出て、深夜2時に帰宅する生活。朝から日付が変わるまで働き、1ヶ月で10kg痩せました。

目の前の仕事に必死で自分では気が付きませんでしたが、目の下が深いクマに覆われやせこけたらしく、様子を見かねてパートさんが店長にかけあってくれて、朝の出勤を30分遅らせてくれたこともありました。(優しい)
言われてはじめて鏡を見て、別人になっていたことを知ります。
■ 初めての店長:戸田店。
26歳から27歳になる月に初めて店長になることができました。
同期で一番遅かったですが、自分の好きな店がつくれると、うれしさと期待でいっぱいでした。
会社も50代のベテラン・スタッフが手助けしてくれるようなお店を選んでくれました。
一番苦労したのは、スタッフさんのマネジメントでした。
補佐役とマネージャーと店長では、従業員からの見られ方や接し方もまったく異なります。
親くらいの年齢の方へ命令口調では話は聴いてもらえません。
日々の小さな約束を絶対反故にせずキチンと守り、少しずつ信頼関係を築いていきました。
とくに契約社員さんが見えないところで、フォロー沢山してくれ、会社で評価されるように振舞ってくれたり、温かかったです。すごく感謝しています。

着任当初こそ不出来で怒られましたが、1年後には常務の臨店時に評価され新店を任されることになりました。
■ 河口湖新店。史上最年少店長として掴んだ「営業成績全社1位」
社会人として5年目、ようやく私にも光が見え始めました。
店長に就任し、河口湖の新店舗へ着任することになったのです。 史上最年少、20代での選任でした。
新店は社内でも認められた店長だけが仰せつかる大役。 スケルトン状態からお店の内装・陳列・ディスプレイを作っていき、ゼロから一人前の店舗にして売上も上げていく仕事です。
そのため経験あるベテラン店長が選ばれるのが通例でした。 東京・神奈川・千葉・埼玉以外の地方なので、転勤の辞令を出せる社員が限られていたというのもあったと思います。
このお店は「田舎過ぎて売れないよ…」店舗設営の応援に来てくれた店長さん方が満場一致、陰で言っていた見解でした。
本部スタッフの意見としても多数派でした。
でも、ポンコツが授かった希少なこのチャンス、逃すべからず——
全力を尽くしました。
通常、新店舗はベテラン経験者の副店長を置きます。
お客様は押し寄せる中、新人スタッフの教育・採用も進めなければならない状況だからです。
ただ河口湖は近隣店舗がなかったため、新人のみでオープン。従来2週間~1ヶ月行う研修も1週間(休日を入れて)しかありませんでした。
しかしながら素直で一生懸命なスタッフさんが揃って、170店舗中トップクラスの店内状態を維持してくれました。(またしても人に恵まれました)
結果、営業成績で社内1位を獲得。 さらに、2度の社内コンテストでも1位を獲得することができました。
本部上層部が決定したチラシの配布エリアを真逆に変えてもらったり、通常大型店にすらないトリンプやスキー用品などイレギュラー商品要望など、かなりワガママを聴いていただきました。(上司が一生懸命に話を通してくれていた)
挑戦を評価するより、失敗したら袋叩きの社風だったので、何も言わず責任を背負ってくれた上司には感謝してもし切れません。
誰も見ていなくても手を抜きたくない性格で、評価の有無は関係なく毎日限界まで働きました。
そんな折、地元最大手スーパー「オギノ」の専務さんが、自社の専務に「いつ行ってもキレイ」と評してくださったそうで、会社の上層部にも知れ渡りました。(売り場のキレイさ(特に商品整理)が店舗のもっとも大きな評価基準だった)
それまでの苦労が報われた瞬間でした。
■ 人手不足、ホテル泊の常態化。リボ借金200万円
しかし、これが長く続くことはありませんでした。
その後、本部の商品部に栄転という形で異動させていただきましたが
仕事ができな過ぎて(特にパソコンが全くできなかった)、私(当時6年目)は、入社2年目の後輩8歳下の後輩にできな過ぎてバカにされる。みじめな状態でした。(実際に何も出来ていなかった)
休みの日も1日中仕事して、不足スキルは自腹で借金してExcel講座に通うなど、時間の限りを注ぎましたが、大した成果も残せず。
大した成果も残せず「店舗に戻りたいなぁ」と思う日々。
そんな様子を察した取締役(河口湖店時代の上司)が声をかけて下さいました。
・取締役「次に行きたいところあるの?」
・わたし「関西に行ってみたいです!」
・取締役「大阪と京都に新店舗できるけど、どっち行きたいの?」
・わたし「京都に行かせてください!」
微笑みながら何も言わない取締役……
取締役のありがたい口利きで、京都にできる新店舗(関西の旗艦店)の店長として異動できることに。(実際には1クッション挟んだ内定(事前予告なし)だったが、察していた)

その後、埼玉県蕨市のお店に異動させてもらいました。
そこは従業員さんが7名しかいない店舗でした。 本来14名でギリギリ運営できる規模の店舗です。 さらに、近隣に新店ができるという理由で、契約社員を1名抜かれてしまいました。
14人必要なオペレーションを6人で回す日々。
子育てや家事もあるパートさんに無理な残業を強いる訳にもいかず、人手不足で毎日深夜まで残業する日々が続き、自宅まで2時間かかるため、ホテル泊が常態化。
自腹でホテルに泊まり込み、担当者不在の半分の部門の売り場メンテナンス・チラシ準備をやり、店を開け続けました。
気づけば、リボ払いの借金は200万円に膨れ上がっていました。(今までもちょくちょくあったので、累積していた)
店舗スタッフが定員の半数というリソース不足の中、ある日、上司が来店し大規模な改装を命じられました。
営業後の深夜ひとりで幅3.6m×奥行き×高さ2mの両面いっぱいに商品がかかったゴンドラを引っ張り、夜中0時過ぎに人生初のギックリ腰に。
その場で動けなくなり、 痛みをこらえながら、芋虫のように這いつくばって何とかビジネスホテルに戻った(当然終電過ぎてる)夜もありました。

- 理不尽への許容
- どんな時もベストを尽くす精神
根性だけは身に付きました。
食事の時間がとれず、1日1食パン1つ。また1ヶ月で10kg以上痩せました。
人が少ないながらも従業員さんの気遣いと力添えのお陰で、人員が定員のお店よりも高いクオリティの売り場を維持することができ、
模範店舗として常務(当時、販売部のトップ)が社内で取り上げてくださいました。
スタッフさんはよくできた方が多く、本当によく気を利かせて私を支えてカバーしてくれました。つくづく人に恵まれているなと実感。
その後半年しして京都の新店に正式に異動。睡眠・風呂・トイレ以外すべて仕事の日々が始まります。日中ずっと働いて、夜中の3時に荷受けしたり、そこそこ過酷でした。
関西に行ってから半年後、つなぎ店舗で従業員として働いていた彼女が一人暮らしの家に転がり込んできました。
私が深夜0時過ぎに帰宅すると、セミダブルベッドの真ん中で彼女が大の字で寝ており、家主の私が冷たいフローリングの床で縮こまって寝る生活へ 笑
暗がりでご飯をつくっていたら「うるさい」と怒られるので 笑、夕食は外で済ませて帰るか抜きに。(また瘦せた

身を粉にして働いて、12年目の給料明細を冷静に見た時、私は愕然としました。 「手取り、20万円以下……」
リボ払いの借金は200万円。 50代の先輩社員の給料が下がっていく現実も知りました。(経営者仲間には「気づくの遅すぎw」と茶化されます 笑)
「このまま60歳まで、借金を返し続ける人生なのか?」
人生を変えた、二度の旅。
転機は、突然訪れました。
2019年の夏、入社11年半にして、初めての海外旅行でフィリピンへ行きました。

■ 11年半ぶりの連休と初の海外旅行。フィリピンで見た「自由」
2019年夏、入社以来我慢していた海外旅行に行くことにしました。 大学時代の友達と二人で。
連休は新入社員(入社1年目)の時以来、2度目。 それまで全く仕事をしない休みは年に1日・2日あるかないかだったので、とても新鮮でワクワクしてました。
人生はじめての海外です。いえ正確には2度目ですが、1度目の記憶はまったくありません。私は米国カリフォルニア州で生まれたのですが、生後3ヶ月で帰国したためです。(アメリカは二重国籍を認めているので、永住権だけはある)
大学時代から漠然と「海外行きたいなぁ」とか、「留学したいなぁ」と言う気持ちはありながら、勇気と行動力がなくて自分に言い訳して、お預けしてしていました。
選んだ行先はSNSでフィリピン人のオススメを聴いてセレクト。本島ではなく、パラワン島・コロン島などの離島を訪ねました。

当時は滋賀坂本の店舗(自分が店長として立ち上げた新店)にいたのですが、休暇の直前に宝塚店舗の店長さんが鬱になってしまったので、後任として異動してくれとのこと。
バタバタで引っ越しましたが、50%から30%目前に引き下がろうとしていた家賃補助が70%になったし、ありがたかった。
前任の店長さんが去り、来たばかりのよそ者店長は従業員さんとの信頼関係構築に時間が必要なのです。
「休みとれないかもな」と覚悟していたんですが、あっさりと旅行を認め快く送り出してくれました。(宝塚へきて2日で旅行へ出発)
休暇中も気になって連絡を入れてたんですが、「こっちは大丈夫ですから」と安心させるような報告をくれたり、向こうから「楽しんで下さいね」と言ってくれたんですよね。本当に感謝。(本当に休みづらい仕事でした)
宿泊先はエアビーで、最初に行ったエルニドのアメリカ人ホストマザーは息子のように面倒を見てくれました。
原付でビーチ探索するときのGoogleマップのオフライン利用など、事細かに面倒を見てくれました。
ダラダラしていて飛行機に乗り遅れた時は、「何やってんの!」と叱ってくれ、一緒にスカイスキャナーで振り替え便を探してくれたり。
「私は、つくづく人に恵まれている」
心の底からそう思いました。

一緒に泊まっていたオランダ人インスタグラマーの男の子2人組は両名とも190cm超え。 フィジカルって武器だな、と思いました。

ツアー中、昼になるとガイドさんは仲間から食事をGETし、乗ってる人は買うことも不可 笑
ツアー客は、彼らが食べ終わるまでよだれを垂らしながら待つ”お預けシステム”で笑った。
空港にGRAB乗り場があることに驚き、透明性ある価格と快適さにびっくりしました。


通りすがりの若者と仲良くなって、リキュールをもらったり、バロット(生まれる寸前のゆで卵)を食べたりしました。(味は普通の卵だった)
バロット屋台の調味料は塩とお酢があったのですが、塩の入った大きな缶を道行く購入者がみな手づかみで取っていくため、塩が茶色に 笑
ブスアンガ島の人々は、そんなことは誰も気もにせず、明るく楽しそうに生きてました。

Hello Talkで出会った女の子に食べるべきご飯を教えてもらっていたため、名物はひと通り食べることが出来ました。(アドボ・シニガン・レチョン・カレカレなど)

フィリピンは海辺のバラック住宅(無番地)や、アスファルト整備されていない土の道路も多くインフラ発展途上を感じざるを得ませんでしたが、スマホは一人1台以上は全員持っていました。お年寄り含めてみな使いこなしており、モバイル・ネット普及を感じましたね。
当時からShopee・LAZADAなどのECモールが有名で、通販の可能性を理解するには十分でした。
2019年は黎明期でしたが、2026年現在、タイは消費の75%がShopeeを利用、フィリピンでもWEBトラフィックの約半数へ急成長を遂げています。

4泊5日予定だったけど、5泊6日にして、仕事の1時間前に自宅に帰ってきました。
■ タイ・フルムーンパーティ。そして、コロナ禍突入
年明けて2020年2月にタイに行った。今後は一人。フィリピンと同じく離島のパンガン島だ。
バンコクから世界3大パーティの「フルムーンパーティ」に行くため。
「フルムーンパーティ」は滋賀(瀬田)のショッピングセンター内の店舗にいた時、ユニクロの店長が良いと言っていた以来、生きたかった。

別件ですがそのSCでは、嘱託で勤務していた高島屋本部長出身の小売り業の大先輩がいて、売り場やマーケティングについて沢山教わりました。
タイ旅行はHello Talkであった女性が住むフアヒン下心もあった。(結局会えなかった/フラれた 笑(写真あり/彼女の姿・))
出発した後、ちょうど日本では新型コロナが騒がれ始めていたけど、タイでは誰一人としてマスクなどしていないため、呑気に構えていました。
男性は半分くらい上半身裸で「ウエーイ」にたいな感じで、コロナの話は誰もしていなかったです。
帰りの飛行機(JAL)内で全員マスク着用で、事の重大さに気づくことになります。
フアヒンやパンガン島にはアジア人は全くいませんでした(地元民以外)。
ビーチやプール沿いでリクライニング・チェアや砂浜に寝そべって、1日中寝ているだけという”欧米人のバケーションの過ごし方”を目の当たりにして、個人的には衝撃でした。(社会人になってから、そんな時間1分もなかったので、想定外だった)

フルムーンパーティに1組だけはっぴを着た日本人グループがいましたが、中国人・韓国人・台湾人はいません。 ほぼ欧米人(米独伊が多い)でした。
みんな自由だった。
帰りに寄ったバンコクにて、新小岩のタイマッサージのおばちゃんに見せてもらって以来、行きたかった「SHINGHA」 ビールパッケージの「ワット・アルン」にも行けました。

バンコクのショッピング・モールは、どこもレストラン街の2~3割が日本食で人気でした。寿司は日本のチェーン以外はニセモノ感がすごいw

本場のトムヤムクンは美味しかったですが、食事はフィリピンの方が味や調理のバリエーションがあって自分的には好きでした。
フィリピンは9割の人が英語が通じましたが、タイでは2割くらい。
ただ親日の方がい多く、50代おじさんが「子供のころ「忍者ハットリくん」で育ったんだよ」とか、ドラえもん・ドラゴンボール・ワンピースなどアニメの話を自分からしてくれる方が多かったですね。(日本のカルチャー品質は偉大)
■ 副業開始。そして、韓国輸出との出会い
2019年12月、私は副業として転売を開始しました。
このままの所得と生活では所帯を持つことも叶わないし、「何かやらなければ」という焦りはあるものの、12年間ほぼ店頭でアパレル売っていただけの人間なので、何もできません。
個人が低資本ですぐにはじめられることと言えば、WEB事業ですがITリテラシーはゼロ。所有パソコンは画面の割れた5年落ちのノートのみ。iPhoneも持っていません。
何もできないので、自宅もあるもの・親族から不用品をもらってかき集め、メルカリで売ってみました。
2~3ヶ月で月に20~30万円の粗利になりましたが、じきに売るものが無くなりました。
韓国では、ECモールが無在庫が公式認可されていて、購入してくださるお客様も了承していることを知り、興味を持ちます。
※Shopee・LAZADAは2019年当時ですでに5年やっている先輩が身近にいたが、配送に不安があったため除外。
2020年8月、ついに私はフリーランスになりました。 16ヶ所に勤務し、新店舗3店舗の立ち上げ、5回の引っ越しを経験した会社員生活にピリオドを打ったのです。
1日おにぎり1個。売上0円からの再出発。
フリーランスになった直後、京都の家賃3万円ワンルームに引っ越し、職場兼寝床にしました。
扉を開けたら即キッチンの珍賃貸でした 笑
1日おにぎり1個でとにかく節約。

読売新聞ゴリラ風不動産業者が扉に挟まってキレてた。山科駅から徒歩5分くらい。
私はすぐに韓国輸出(韓国越境EC)に挑戦しました。
なぜ韓国だったかは、
前述したプラットフォームが無在庫OK、初期アカウントから1万品出品できて、仕入れ価格に消費税の還付がある——そこが決め手でした。
要はお金にできるスキルがないので物なら売れる。しかし元手となるお金がなかったわけです。
クレジットカードの与信枠があって、支払いと着金のキャッシュフローが円滑にいく前提にはなってしまいますが、元手がなくても月に1億円の売上をつくることは、理論上は可能な手法です。
利益率は低いですが、他に何も思いつかないのでやるしかありません。
まずは2020年8月に出店に着手。Google検索しても全く情報が落ちてないので、在日韓国人の経営者さんにレクチャーしていただいたり、SNSで韓国人フォロワーさんにサポートもらっていました。
▼当時SNSで知り合って色々教えてくれたヒョナム君(韓国人)
日本にも津軽弁、大阪弁などがある様に、韓国にも地方によって様々な訛りや方言があります。
また済州島のチェジュ語は、ウチナーグチ(沖縄語)の様に、ソウルなどで使われている一般的な韓国語と全く違う言語で、現地の人が聴いても何を話してるのか分からない位、異なります。 pic.twitter.com/xkdZOC8K0a— 藤田 裕貴|《🇰🇷韓国のEC/流通/マーケ最新情報》を毎日発信 (@fujit_ECbassman) August 2, 2024
2か月がかりで1つ目のショップを出店させ、11月に韓国ECモールの出品をスタートさせましたが、当初は厳しい日々が続きました。
■1日15時間休みなしで作業しても、最初の2ヶ月は売上0。
いえウソです……。価格の桁を1つ少なく出品してしまって、売れましたが2万円の赤字でした。
普通だったら辞めちゃいますよね?笑
しかし、バカだったから辞めなかった……。ほかに何もできないし背水の陣だったんですよね…。
それで3ヶ月目でやっと売上41万円・利益2,800円…!

あまりにも雑魚過ぎる成果でしたが、当時の自分には光が見えた感じで嬉しすぎました。
何が売れるのかはもちろん、配送できないもの・許認可が必要なもの
韓国EC販売当初からブログやX(旧Twitter)で発信していたため、出版社さんの目に留まり、
2021年2月には扶桑社発行の「YenSPA!」にカラー3ページ特集掲載のお話をいただきました。(何の実績も出していないのに大感謝……。)
【ご報告】
本日、扶桑社さんから発売の『Yen SPA!』でインタビューしていただきました✨
(週刊SPA @weekly_SPAの増刊号)
実体験ベースのメリット/デメリット、始める手順、売れた商品などをお話ししました😊
韓国輸出の特集は3ページ📖
誌面はINTER PARKですが、11番街からが始めやすいです🇰🇷 https://t.co/9Su0p1lJMm pic.twitter.com/xES6f6lETB— 藤田 裕貴|《🇰🇷韓国のEC/流通/マーケ最新情報》を毎日発信 (@fujit_ECbassman) June 30, 2021
■初の単独事務所(ボロアパート)を借りる
9月には、韓国ECモールへの出店が8ヶ所に拡大。 さらに、日本国内でアパレルショップも立ち上げ、荷物が増えて入らなくなったので、月3.5万円の新しい事務所も契約。
隣の世帯が夜逃げしたり、上の階で犬だけ多頭住みしている6畳くらいの窓ガラスが割れたボロアパートでしたw
寝床が段ボールだらけから解放されて嬉しかったです。

月商は395万円程度しかなかったですが、梱包発送を自分でやっており手を空けたかったのでパートさんの力を借りるように。(今みたいに安い韓国むけ配送代行がなかった)
そして出品を始めて13ヶ月・初利益から11ヶ月後の2021年11月には、月商900万円超(キャンセル/返品込み)に。冴えないながら、何とか年商1億円が見えてきました。

初めて開設した11番街の1ショップだけで、月の売上が300万円を超えました。

出店先のECモールも7カ国15ヶ所に拡大しました。
やっとことはただ販路を増やして、やみくもに出品しただけです。その頃には1日の作業時間は1~2時間くらいまで軽減できていました。
購入してくださった商品の写真を、送ってくださるお客様もあらわれ、より仕事ににやりがいも感じように。

■会社で学んだ人ひとりの限界。仲間の数は足し算ではなく掛け算
最初から楽をしようというマインドはありませんでしたが、先々を見越して初期から教育・レクチャーに力を入れました。(労働集約ビジネスということもあり)
サラリーマン時代から、人手不足・日々途方もない作業量をこなす中で、”人ひとりの力の小ささ”と”協力のちからの大きさ”を実感していたからです。
独立してすぐに京都への引っ越しを選んだのも、前職時代のパートさんの自宅が近かったからです。(退職前にリクルートしていた)
売上が増えたころに別のことをしている時間が作れたのは、出品スタートと同時に17名の方に作業外注(出品用Excelづくり/当時は手作業でした)させていただいており、良い方に巡り合えていたからです。
パートナーさん達も仕事に慣れ、雑務もリモート秘書さんにやっていただける体制になっていました。
その中のひとりであった大学生の高橋君が、「無料で手伝うので、やり方を教えてください!」と言ってきました。
わたしは「有償で依頼させてもらうし、いくらでも教えるよ」と返答。
彼は輸入転売で月200万円稼いでいたのですが、Amazonに資金留保されてしまい無在庫で販売できる手法が知りたかったそうです。
ミャンマーにコネがあり(お父さんのルーツ)、10~15名くらいのパートナーさんを原地採用して教えて業務ディレクションをしてくれました。
諸々取りまとめてくれるので、お陰でわたしは彼一人とやり取りすれば良くなりました。

ミャンマーの方々は2021年2月1日に発生したクーデターが重要な転換点となった紛争で外出もままならなくなり、リモートワークを喜んでくれました。
ミャンマーの平均月収は5万円ほどですが、あえて安く買い叩く様なことはせず、日本人と同じ金額をお支払いすることで、先方から仕事を欲してくださる様になり、チームの生産スピードもUPしていきました。
高橋君は日本語学校の設立も並行して進めており、教育から人材送客までシステム化し、卒業する頃には中堅企業に事業売却していました。
新卒で転売で独立したいというので「いつでも出来るから」と止めて、外資コンサル企業へ無事就職。(就職祝いに心ばかりですが、新宿でお寿司をご馳走させていただいた)
SNSで韓国人の学生さんがみずから志願(募集はしてない)して連絡をくれ、アルバイトに来てくれるようもになりました。
年を取るほど自分より若い人に教えを乞うチャンスって減ってくると思いますが、トレンドや視点をはじめ、学ぶことは非常に多いんですよね。10代後半以降は頑張ってきた特技や自分より優れている点は必ずあるわけで。
今でも年齢関係なく、教えてくれたり自分にもの申してくれる仲間を大切にしています。
自分は年下・年上問わず、悪い部分をズバッと言ってもらえる環境にいて、本当にありがたい。
自分は天才ではないので、他社俯瞰で気づくことが多々ある。
以下のパターンは、まわりから面倒臭いor面倒臭そうと思われて言ってもらえない。
・クセが強い
・繊細すぎる
・意味のない毒を吐く人…— 藤田 裕貴|《🇰🇷韓国のEC/流通/マーケ最新情報》を毎日発信 (@fujit_ECbassman) July 16, 2023
もし生産性が上がらないなら「相手の得意なことを見つけてお願いする能力」を身に着けると良いと思います。その方法はよく見て見極めて、お任せしてみることです。人間に興味をもって注意深く観察すると、見えてきます。人の才能は、活かすも殺すもマネジメント次第。
知的障害をお持ちの方に、商品リサーチの作業を依頼させていただきました。
パソコンが大好きで、丸1日時間を忘れて没頭できる方。
実に素晴らしいです。
ほとんどの方が真似できない天才的な才能。もちろん僕もできません。
何か1つでも尖っていれば、世の中から求められ活躍することができます。— 藤田 裕貴|《🇰🇷韓国のEC/流通/マーケ最新情報》を毎日発信 (@fujit_ECbassman) January 21, 2022
経営者の先輩から見たら大変ちっぽけな経験ではありますが、会社員の時からカウントして700名くらいの方へはマネジメントさせていただきました。
うち600名程度は女性です。主婦さんは真面目でミスが少なく、時間配分がうまく、生産性が安定しているのが特徴です。
■倒産のピンチ。1,000万円の資金留保

韓国輸出ビジネスを始めてから1年が経過した頃、生活費くらいは生み出すことができるようになりました。
特に大幅な商品入れ替えや価格改定などを行ったわけではありません。 「ただ続けただけ」です。
今となっては余りに思考が不足しすぎており、決して良いとは思えませんが、継続の力は私のようなポンコツにすら、奇跡を見せてくれました。
韓国ECが上手くいかなかったら、別のビジネスをやろうにも資金が尽きていたと思いますし、何もあてがなかったので、救われました。
しかしそんな頃に、韓国ECモールのアカウントが停止になり、売上金が1,000万円近く支払い留保されることになりました。(滅多にそんなことないので、これから始められる方は安心してください)
理由は、韓国配送・税関の仕組みや韓国人とのやり取りに慣れておらず、事前のリスク回避・事情をうまく説明できないことによって発生した、齟齬でした。
具体的には3つ。
・❶税関調査で配送ストップしていることを上手く伝えられなかった(自分は間違いなく発送したのに、モールに私が未配送なのだと思われた)
・❷真贋調査の対応方法を知らなかった
・❸販売してはいけない商品を知らなかった
韓国ECモールはAmazonのように売上を没収されることはありませんが、悪質で話も通じないと判断されたセラーは、誤解が解けたり一定期間、売上金の払い出しが留保されることがあります。
メッセージを3ヶ月無視したり、要請に断固として応じないとかでない限り、そんなことにはならないのですが、無知であったのと対応を甘く見た結果でした。
現在はそんな経験を活かし、WEBスクールやクライアント様へは、モール向けの説明・提出資料のテンプレートをご提供しています。
韓BIZ|コーチング型オンラインスクール 韓国輸出マスター講座韓国輸出マスター講座「韓BIZ」 韓国輸出マスター講座「韓BIZ」とは「たった4ヶ月で現場で必要な韓国越境ECの知識が分かり、実践スキルが身につく」をコンセ fujit-freelife.com
1,000万円は、私のような吹けば一瞬で飛ぶ超スモール事業者にとって、命取りです。(元々お金がなかったので、無在庫販売をしていたのですが)
誤解が解ければお金は戻ってくるのですが、当時の私はそんなことも知らず、先々の不安は募るばかり。
当然、仕入れの支払いが立ち行かなくなり、カード会社さんに逐一TEL報告。
返済スケジュールと事情は把握していただいたのものの、遅れは事実のため4つのクレカがBAN。今でも新規カードは作れません。(カード会社さん本当に申し訳ございません)
信用情報に影響してしまい、今でも個人カードは新たに作れません。(持っている3枚を大切に使っています)
モールへ留保解除の交渉を進めつつ、販売のほうは抑え、以前よりいただいていた韓国越境EC支援をさせていただくことにしました。
元々販売しかするつもりはなかったのですが、韓国ECスタートと同時にブログを書いていたのでご相談は沢山いただいていました。(ご相談には返答していましたが、自分で精一杯でサポートまでは出来ていなかった)
コンテンツを置き場・仲間が集まる場所として、オンラインサロン「Cross Border戦略室」をOPEN。
貿易サロンCross Border戦略室 学びと交流で、越境ECを攻略。仲間との交流や質問・お悩み相談ができるオンラインサロンのご紹介です。 fujit-freelife.com

時間ができたのでYouTubeも開始して本編の最後に告知したら、いきなり17名の方が入ってくださって、嬉しかった。(登録者50人くらいだったと記憶)
韓国ECの情報はGoogleにほとんど落ちていません。韓国向けメーカー品販売は、出店と出品方法だけわかれば出せば売れていくため、入口を秘密にして高いお金で販売している業者さん(在日韓国人など)が多かったのです。
そのため、基礎情報を欲している方が多く、無料で全部出していた私には一定のファンの方がいらっしゃいました。(ありがたい、ありがたい)
フォロワーさんからマンゴーと焼酎をいただきました✨🥭🍾
嬉しすぎワロタw
ありがとうございます😭 pic.twitter.com/dYDEXGUc3u— 藤田 裕貴|《🇰🇷韓国のEC/流通/マーケ最新情報》を毎日発信 (@fujit_ECbassman) July 21, 2021
(その後、売上は無事に回収できています)
新たな使命との出会い。京都の心を、世界へ。
■ コロナ禍の京都。苦しむ事業者さんとの出会い
起業の過程で、私は企業支援の道にも足を踏み入れることになります。
2020年、コロナ禍の最中に兵庫から京都に戻ってきた私は、かつての賑わいを失った街の姿に衝撃を受けました。
外出自粛の影響や海外からの観光客の激減により、以前の活気に満ちた京都の姿は影を潜めていたのです。
特に印象的だったのは、かつてインバウンド需要で売り手市場だった京都の事業者さんたちの苦境でした。
観光客の激減により、多くの伝統工芸品の製造業者、和菓子屋、高品質商品のメーカーなどが顧客を失い、苦しんでいました。
信用金庫さん経由で相談が届くようになり、彼らの切実な声を耳にするにつれ、私の中で「何かお役に立てないか」と行く気持ちが芽生え始めました。
この状況を目の当たりにし、私は無料相談から企業支援を始めました。 最初は2年間、無償で支援を続けました。
ZOOMでの無料相談も200件以上はやらせていただきました。

■「助けになりたい」から財務・経営を学び。経産省 認定支援機関の取得
苦しむサプライヤーの方々の悩みに寄り添う中で、私は彼らが抱える共通の課題に気づきました。
- 自社商品の海外での可能性を知りたい
- 販路拡大の方法がわからない(国内通販ふくめて)
- 事業拡大資金の創出方法を知りたい
これらの課題に応えるべく、私は「販路開拓」と「資資金繰りのサポート」の無料相談を本格的に始めました。
自分が補助金申請をやっていた関係で、ご相談をいただくようになり、無料相談から申請サポートも始めるように。
当時は補助金のコロナバブルで、受託したいがために、なんでも申請を勧めたり、無駄な買い物を推奨する業者が多かったです。だから、“本当に意味のある投資への再考”に引き戻すパターンのほうが多かったです。
財務省 財政制度分科会(10月11日)
【「事業再構築補助金」に関する指摘まとめ】
■自販機、サウナ、エステ、ゴルフの採択ばっかり(特にゴルフ)
■既存事業の強み関係ないのに「フルーツサンド販売」始める会社多すぎ
→重複案件(テンプレ申請含む)
■コロナ補助金もう要らなくね?… pic.twitter.com/7MtseRI0JA— 藤田 裕貴|《🇰🇷韓国のEC/流通/マーケ最新情報》を毎日発信 (@fujit_ECbassman) October 12, 2023
5時間無料相談したり1日費やして、失注(私から申請をお勧めしなかった)というのも珍しくなかったです。
だから使っている労力の割りに全然儲かりませんでした 笑
唯一の成果といえそうなのは、売れなくて廃業が相次いだ、自動販売機・低品質な高額ECサイト・あるある事業(フルーツサンド屋など)のような、補助金垂れ流し産業(業者の食いもの)はだいぶ食い止められたと思います。
はじめはご相談に対して、経験則をお話していたにすぎませんでしたが、相談者様の経営状況を左右する大切なご相談に対して、いい加減なアドバイスはできないな、と感じることも増えました。
財務会計・経営分析を学ぶ必要性を感じ、「経済産業省の認定経営革新等支援機関(認定支援機関)」も取得しました。(約120時間の研修と2回の試験)
■本質は高い、でもつくることで精一杯な生産者
ご相談の流れから「自社の商品を海外へ広めたい」 「販路を拡大したい」 そんな悩みを抱えるメーカーさん、伝統工芸品の製造業者さん。
「こだわりの農産物が正当に評価されない」農家さんなど一次産業の課題に行きつきました。
▼農薬不使用・オーガニック・原油不使用のこだわり抹茶をつくる、木津川の井戸野さんに取材させていただきました。
同時に、私は京都の埋もれた地域資源の素晴らしさに気づきました。
「素晴らしい日本の伝統文化や品質の高い日本製品の魅力を丁寧に海外へ伝え、正しい価値で買っていただきたい」
この想いが、私の心の中で大きく膨らんでいきました。
■ 韓国企業・熟練パートナーとの連携
ご支援の中で必要だけど紹介できる専門家パートナーがいなかったり、スコープ外で全体最適化できず、悔しい思いもするようになりました。
例えば当初ECはわかるけど、SEOやWEB広告は知らないしできないので、俯瞰したアドバイスやサポートができないといった問題です。
(日本で韓国のECやWEBマーケをよく理解し、実行支援できる人間も非常に少ない)
自分のスキルを上げつつ足しげく韓国に通い、各領域に特化した有力なパートナーを探すようになります。
また想いを伝えることで、Naver・カカオ・クーパン・11番街・Gマーケット/オークション・wadiz・新世界・韓国情報工学・Shop LinkerG&Cなどの大手流通・IT企業と提携してきました。

それにより、メーカー・製造業様へ多方面からの総合的かつ、円滑なサポートが可能になりました。
「なぜそんなに韓国人と仲良くなれるのか」よくご質問いただく内容です。
韓国の(特に大企業)は問い合わせフォームにイレギュラーのメッセージしたところで、返信がないか・テンプレ回答が返ってくるだけです。(日本の大企業もそうですよね)
韓国人はせっかちな人※が多く、長くても冒頭3行以内に自分たちのメリットが分かりやすく書いていないと返事しません 笑
※빨리빨리(パリパリ=早く早く):不安定な社会情勢により、乗り遅れると損することが多いことから生まれた国民性。
要は「相手を学び知って、彼らが喜ぶスタイルで接する」(嘘はつきませんが)だけです。たとえば中東の方と接する場合、イスラム文化を理解した上で会話しないと無礼だと思われるとは当然ですからね。言いたいことを伝える以前に大切にしなければならない、リスペクトの基礎です。

NAVER本社にて
Shop LinkerG&Cさんのキム社長は、弟みたいに可愛がって下さいました。
▼YouTubeチャンネルにゲスト出演させていただいた回(わたしの三文芝居が酷い 笑)
■『依頼先が一つで済む』
韓国進出を市場調査、戦略設計、複雑な手続きから販路拡大、伴走支援、ITツール導入、運用代行、マーケティングまで一気通貫でサポートできるようになりました。

なぜ韓国なのか。韓国への感謝と恩返し
私のようなポンコツでも、自分を活かせる場所で、人に喜んでもらえて、充実感を得ることができる。
やりたいこと全部我慢して、12年仕事だけやってる生活をしてきましたが、やりたいこともやりながら、好きな仕事に全力投球する選択肢を見つけられました。
何もなかった自分に自分らしく生きるキッカケを作ってくれた韓国に大変感謝をしています。
自分の生きる場所を見つけられ、日本製品の韓国進出のお手伝いをさせていただくことへ、日々喜びを感じています。
■日本の良い部分をもっと韓国の人たちに知ってもらって、正しい価値で届けたい。
強い信念をもって取り組んでいます。
まったく派手さはなく、地道で大変な作業の積み重ねですが、1つのことに強烈に熱中できる自分には向いている仕事です。
幸いなことに韓国にも日本にも、私の理念に共感してくれる各分野のエキスパートである仲間がたくさんいます。 彼らの協力のおかげで、お客様への安定した高品質なソリューション提供が可能となっています。
韓国の政治家による支持率改善のプロパガンダ利用などのメディア報道、中高年の一般層の方々が反日イメージを持たれてるシーンを見かけますが——
私が知っている韓国の人々は、みな優しく世話焼きです。日本人だからという理由で嫌な思いをしたことは一度もありません。
実際には大ブームになるくらい日本文化が好きな人が多いですし、韓国の街中では、JPOPが漏れなくかかっています。(日本の反韓派と比較して、非常に少ない体感)
4年間韓国の釜山に留学しているインターン生が日本の悪口を聞いた回数は、2〜3回。 反日の人に会ったことは1回だそうです。 多くの人は何とも思っていません。
日本人に韓国の人々の正しい姿を伝えたいという気持ちも芽生えるようになりました。
韓国の歴史をYouTubeでも解説中
■自分の人生を変えてくれた、韓国という国に心の底から感謝しています。
恩返しといったら烏滸がましく恐縮ですが、日本の素晴らしい商品を韓国にお届けして、韓国の良い商品を日本の消費者の方へお届けする。 一方だけではなく、双方に経済効果のあるご支援ができればと考えています。微々たる力ではありますが、日韓流通の役に立てたら嬉しいです。
その一貫で、韓国旅行のYouTubeもやっていたりしています。
現地の人しか知らない韓国の隠れた魅力を伝えたり、日本の方旅行ついでに商品を買い付けて日本で販売し、旅費をペイする方法なんかもご紹介しています。
フォロワーさんへの無料相談対応の中で、主婦さんが忙しい合間のパートで得た6~7万円が一回の渡韓で消えてしまう話を聞いて、「何か力になれないかな」と考えてつくりました。
多くの方に韓国について知って欲しいのと同時に、(大変微力ではあるのですが、)韓国に行く人や回数を増やせたり、流通促進になったら良いなぁという想いもあります。
ただの情報提供で何も売っていないので、300万円近くの赤字です 笑(スポンサー様募集中)
■ 「日本の心を紡ぎ、アジアの暮らしに華を。」

これが、Free Life&Co株式会社のパーパスです。
『日本の伝統文化・想いを訳し、アジアの暮らしに物語を届ける。』
私たちは、自分事として韓国進出をご支援・成功させる会社です。
「モノだけでなく“日本の目に見えない素晴らしさ”も、最大限に海外に運び伝える」をモットーに、ご支援しております。
「ネイティブ韓国人、在韓13年のバイリンガル日本人など現地在住スタッフが中心。想いに共感してくれる、各分野歴7~15年のプロフェッショナルが集まってくれています」


通販・実店舗での韓国進出、訪日インバウンド集客をワンストップでご支援できます。
最後に。人生に「遅すぎる」なんてない
ここまで、私の長い自分語りにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
わたしの経歴は、自慢できるようなものでは決してありません。むしろ、遠回りと失敗の連続でした。
■ 挑戦する、すべての人へ
どんな方でも今、この瞬間から、自分の人生を変える第一歩を踏み出すことができます。
新しいスキルを学ぶ、長年温めていたアイデアを形にする、誰かに相談する……どんな小さな一歩でも構いません。
大切なのは、行動を起こすこと。 その一歩で未来を変えることができます。
私のようなポンコツ経歴でも示されるように、人生に「遅すぎる」ということはありませんでした。
今の状況がどんなに厳しくても、自分の中にある無限の可能性を信じてください。 そして、その可能性を現実のものとするために、諦めずに挑戦し続けてください。
私が最も尊敬する人物の一人に、カーネル・サンダースがいます。
65歳からKFCのフランチャイズ化に挑戦。 年金でガソリンを買い、車中泊しながら1,009回断られても諦めず営業。 90歳に亡くなるまで全世界の店舗を視察。その時、6,000店舗超。
彼はこんな名言を残しています。
「人を幸せにすることに引退はない」
失敗を恐れず、むしろそこから学びを得る姿勢。 情熱を持って継続的に努力すること。 そして、その経験や成功を社会に還元する姿勢。
皆さん一人ひとりが、自分らしい充実した人生を歩み、そして誰かの人生にポジティブな影響を与えられる存在になることを心から願っています。
▼カーネルについて詳しくはこちらのnoteにて解説しています。
https://note.com/embed/notes/nba5f23dceaf7
「『一品でも多くの日本製品の”価値”をアジアに届ける』——これが私たちのミッションです」


- 京都で感じた“高品質だけど伝わっていない・届けられていない日本のモノ”
- 自分を救ってくれた韓国を中心とした”アジア市場”
今でも心に強く残るこの2つの原体験、『日本の伝統文化・想いを訳し、アジアの暮らしに物語を届ける。』を信念に、日本の素晴らしさをアジアの方々にお届けすることで、笑顔を増やせたら嬉しいです。
長文にもかかわらず、大切な時間を使って最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
Free Life&Co株式会社 代表取締役 藤田裕貴
■ お問い合わせ
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